こんにちは。シーアです。(@seer1118b)
長男が不登校になって、3ヶ月が経ちました。
中学1年生の2学期は、ほぼまるまる登校できなかったことになります。
もうすぐ終業式。担任の先生は、「終業式、来れたらおいでよ」と、明るくソフトに誘ってくれるけれど…。
この記事では、不登校の長男を見守り、時にはイラつき、耐えて、たまに爆発した私の気持ちを綴ります。
あくまでも、私というひとりの人間としての感情で、不登校児への対応として不適切な部分もあるかと思います。
悩みながら、手探りで進んでいる途中なので、あたたかい目でご覧いただけると幸いです。
長男が不登校になったきっかけは、私だったのかもしれない
忘れもしない、9月13日。
長男は、学校に行かずに、家の周りをウロウロしていたそうです。
私が会社に出勤して、家が無人になったあと、こっそり家に戻ってきていました。
その一部始終を、同じマンションのママ友が見ていて、違和感を覚えて私に連絡してくれました。
長男は、サボった理由を、「お腹が痛いけど、休みたいって言っても、きっとダメって言われると思ったから」と語りました。
その翌日から、長男は学校に行かなくなりました。
そのときの私の対応がどんなだったのか、正直、今となってはぼんやりとしていて、うまく思い出せません。
自分のせいだったのではないか、もっと気の利いた言葉がかけられたのではないか…後悔が尽きません。
不登校児の親は、出口が見えないトンネルの中にいる
3ヶ月が経つ今も、長男の不登校の理由は、未だ分かっていないままです。
暗いトンネルの中、見えない光を探している感覚。
こっちが出口なのか、進んでいる方向が正しいのか、そもそも出口なんてあるのか…誰にも分かりません。
「学校だけが全てじゃない」「親がドンと構えていないと」…他人は、好き勝手なことを言います。
ですが、長男には人間的に足りていない部分が多すぎて、彼にこそ義務教育が必要だと常々感じます。
勉強ができないことが不登校の原因?
長男は、軽度の学習障害(LD)で、文字の読み書きが特に苦手です。
小学校までは、私がつきっきりで宿題をやっていて、なんとかやっていっていました。
勉強はちょっと苦手だけど、スポーツも得意だし、友達関係も問題なく、まさか不登校になるようなタイプだとは誰も思っていませんでした。
だけど、中学校になると、定期テストなど、評価の目にさらされる機会が増えてきます。
プライドの高い長男には、自分の中の「このくらいわかる」「あいつよりはできる」というセルフイメージがきっとあったはず。
だけど、勉強をやってもやっても、まったく追いつけない。
塾にも通いはじめて、一時期は週6日もがんばっていました。夏休みは、夏期講習で、昼も夜も。
もちろん、多少成績は上がっていました。
しかし、勉強はどんどん難しくなり、みんなは先へ進んでいき、自分の「できる」イメージからはかけ離れていく…。
そこで、大きな挫折があったのではないでしょうか。
だから、ちゃぶ台をひっくり返すように、すべてを投げ出してしまった…という感じかなと。
思春期の男の子は、そんなに話してくれないし、自分のことをこんなに客観的に言語化できません。
「旅行から帰ってきたら学校に行く」と自分で宣言し、実行できなかった
長男は、不登校が始まった9月頃に、「セブ島への旅行が終わったら、学校に行く」と言っていました。
セブ島旅行は、12月7日〜10日。だから、12月11日から登校する、と。
その当時は、まだ不登校になったばかり。本人の中にも、楽観的な見通しがあったのでしょう。
でも、私は、3ヶ月もの間不登校でいる、とすでに約束されたように感じて、かえって抵抗を覚えました。
だけど、意に反して、不登校のまま時間が過ぎ、12月の旅行がどんどん近づいてきました。
その間、何度も登校のチャンスはあったけれど、結局学校には行けないまま。
そんな中、長男は、塾の先生や友達に「俺、12月10日から学校に行く」と、LINEなどで宣言していました。
プライドの高い長男のことだから、実現可能性がないなら、自分からそんなこと言わないでしょう。
多少なりとも、学校に行く気があって、行けそうな気がしたから、宣言したはず。
長男が、自分で宣言したことを実行できなかったら、きっと余計に学校に行きにくくなります。
どちらの意味でも、期待と不安があって、どうかうまくいってほしいと思っていました。
ですが…やっぱり学校には行けませんでした。
学校の先生が、優しくソフトにチャンスをくれるけど、応えられない
不登校が始まった9月から、10月中旬くらいまでは、学校に近づくこともできませんでした。
でも、10月後半から、毎週火曜日の夜に、私と長男のふたりで中学校に行き、担任の先生と話す機会を作っています。
最初は、「プリントを提出しに行く」「受けられなかったテストをもらいに行く」などの理由をつけて、他の生徒が下校後の時間に訪問。
その後、徐々に週1回、習慣化させることができました。
学校の担任の先生は、押し付けがましくなく、焦らずゆっくり、登校のきっかけを作ってくれます。
「なんで学校に来ないのか」というようなことは決して言わず、明るく背中を押すイメージで。
…どれも、長男には刺さりませんでした。
長男は、その場では、「行けない」「行かない」とは言わず、あいまいにうなずいたり、「その日にならないとわからない」などと言います。
ですが、当日は、制服にも着替えず、すっかり忘れたような雰囲気でのんびりしています。
私が、「今日、先生においでって言われてた日やで」と言うと、「ん〜、お腹痛い〜」と、いつもの断り文句です。
説得してみても、放置してみても、怒ってみても、彼は変わりません。
「今日、学校休みます」と先生に電話するとき、虚しくて情けない気持ちでいっぱいになります。
小児神経科医と決裂。もう二度と行かない
不登校になってから、小児神経科・児童精神科のクリニックに通っていました。
小学校の頃、発達やLDのことでお世話になっていた先生です。
だけど…結果から言うと、うちには合いませんでした。もう二度と行きません。
決定的にダメだと思ったのは、セブ島旅行の直前の通院日。
事前に、夫だけが診察室に入り、「長男自身が、旅行のあと学校に行くと言っているので、背中を押す方向で話をしてほしい」と伝えました。
しかし、長男が診察室に入ったあと、先生は予想外のことを言い出したのです。
事前の打ち合わせと、まったく真逆…。
夫は、はじめはいろいろ言いたいことがあったものの、そのうち「この人は自分の固定概念を崩さない。何を言っても無駄だ」と悟ったそうです。
私は、自分が不在のところで、「どうせママが決めたんやろ」と言われたことが悔しくて…。
もしかしたら、子どもの心の専門家だから、長男の気を楽にするために、あえて逆のことを言ったのかもしれません。
でも、それならそうと、夫に「こういう意図があるから、あえて逆のことを言いますね」と伝えてほしかった。
私たち親としては、裏切られた気持ちです。
もとはと言えば、このクリニックに通い始めたのは、私が選んだから。
長男が小学校の頃に、発達のことで隔週、月1回と、かなり長期間通院しました。
その時は、信頼できる先生だと思っていたのに、夫に「あんなん、専門家でも何でもない、ただのおっさんや」と言われると…。
複雑だけど、どちらの気持ちも私の本心なんです。
思春期外来、心療内科など、様々な名称の医療機関がありますし、クリニックだけでなく、カウンセラーなどの施設もあります。
長男に合う、私たち親も信頼できるところを、イチから見つけないといけません。
不登校児の親は、アドバイスにうんざりしている
たくさんの原因や理由を考えて、ネットで体験談を読み、子どもの心理について学び、解決の糸口を見つけようとします。
だけど、親だって万能じゃないから、ときにはイライラするし、もう何もしたくないって思うこともあります。
SNSで「私も昔不登校で…」「うちの子はこれが原因でした」「思春期外来には行きましたか」「長男くんの気持ちをわかってあげてください」…たくさんの声を聞きました。
だけど、正直なところ、それらのアドバイスに、うんざりすることもあります。
児童精神科の先生も、塾の先生も、学校の先生も、周りの人も。
みんな、長男を理解しよう、解決させようと考えてくれます。
だけど、私だって、親だから、いちばん考えて、調べ尽くしているんです。
アドバイスを聞いて、「はじめて知りました!ありがとうございます!」なんてことは、そうそう残っていないんです。
もちろん、すべてを知っているわけではないし、正解は分かりません。
だから、一緒に考えようとしてくれているのは、わかります。
でも、私はいったい何人に「それはもう検討したけど、違いました」とか「そのアイディアもダメだったんです」って言えばいいんでしょうか。
もう、それらのアドバイスのひとつひとつをすくい上げて、考えて、実行することに、疲れてしまったんです。
不登校児の長男ではなく、私の気持ちを聞いて、共感してほしい
そんなアドバイスと違って、ありがたいのは、私の気持ちに寄り添う言葉でした。
学校に行けなくて、いちばん苦しんでいるのは、長男本人なのだ…ということは、頭では分かります。
だけど、発信しているのは、長男ではなく私です。
私が、私の気持ちを「つらい」と言っているのに対して、「長男くんがかわいそう」とか「これをしてみたらどうか」と言われると…。
暗に、「こんな親で長男がかわいそう」とか「こんなことも思いつかない親なのか」「アドバイスしているんだから聞き入れるべき」と言われている気持ちになるんです。
被害妄想かもしれないけど、それだけ、不登校児の親は追い詰められて、責められることに敏感になっています。
実際に、責められることだってあるから、余計に。
逆に、私の気持ちに共感して、心から寄り添ってくれる人の、「こうしてみたらどうでしょうか」は、すんなり受け入れられるもの。
デリケートな内容だからこそ、受け入れ方は自分で選ばせてほしいと思ってしまうのです。
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